先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-279~

みなさん、おはようございます。

今週は勤務校の推薦入試が実施されるため、本日は大掃除となります。大掃除って…好きなんですよね(笑)

教室の隅々まで綺麗にするあの感覚、そして普段しない掃除をみんなでやる感覚…ただなかなか昔ながらの大掃除ではなくなっているのと、生徒が清掃することへの意識が低くなっていると感じるため、最近は思うような大掃除ができていないというのが本音です。

本当は学校あげての大掃除をしたほうが良いと個人的には思うものの、なかなかそうはならないため今後どうしていくのか…悩ましい限りですね。

さて、推薦入試がある関係で心配なのは受験生の体調もそうですが、学校関係者みなさんの体調もですね。この先多くの学校で入試が実施されていきますが、関係者からコロナウィルスの感染者が出た場合、さまざまな対応に追われることになるでしょう。先日の大学入試共通テストにおいては、コロナウィルスによる影響で目立ったものはなかったようですが、この先これらの対応も含めて本当に臨機応変に対応していかなくてならないと考えさせられます。

最近思うことは本当に普遍的なものはないということです。特にこのコロナウィルスにより、そのことが加速したように感じられます。

掃除への認識も変わりますし、入試の対応も変わります。これまでどおり、踏襲しましょうということができなくなった世の中で、どういったことをチャンスととらえて今後につなげていくのか…確かに世界全体をみたらピンチでしょう。

ただ、この機会をチャンスととらえて、動き出している人もたくさんいます。かくいう私もそのひとりですが、この普遍的ではなくなった社会をどう生き抜くのか…なんとなく気心しれた方々と議論したいなぁと思う今日この頃です。

 

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-278~

みなさん、おはようございます。

「なぜ僕らは働くのか」池上彰さんが監修して話題になっている本ですが、昨日という一日は、この「働く」という意味についてものすごく考えさせられた一日でした。

もっと正確に言えば、生きるということについて考えさせられた一日でした。

私が感じるのは、働いていったり、生きていくということにつきものなのは、価値観と価値観の対立が必ず起こるということです。そして、それらの価値観はその人たちにとっては正義であるから、価値観の対立は正義vs.正義の戦いなんですよね。

そして、その正義vs.正義の戦いを繰り返すのが、働いていったり、生きていくことなんでしょうね。もちろん、常に戦うわけではありません。そういった中で、それぞれの正義をぶつけあったり、自分がひいたり、新しい道を切り拓いていくのだと思います。

ただ言えるのは、このコロナ禍でそれぞれの価値観、つまり正義というものを考える機会が増えて、それぞれがこの価値観を大切にしていくことが増えていくのではないかということです。そしてそれが起きると、価値観の対立よりも、それぞれの価値観が独立していき、ある意味対立は起きないものの、それぞれがバラバラの方向に向かっていくんだろうなぁと感じています。

むしろ、それは正常なことかもしれません。ただ、間違いなく新しい生活様式、新しい働き方、新しい価値観が生まれていくんでしょうね。そういう意味で、私自身にとっては昨日のある瞬間、ついにパンドラの箱が開かれたという感覚がしています。そして、このパンドラの箱が開かれたからには、みんながより価値観を大切にして、生きていけるんだろうなぁという希望が見えた半面、ある意味希望ではなく絶望と感じた人もいるのかもしれません。

そういう意味でも、改めて何のために働くのか、何のために生きるのか、このコロナ禍はそれを人間に問うている気がしています。

私自身は、12月頃からこれらのことに直面し、2021年以降は好きに生きると決意しました。(もちろん好き勝手ではありませんが)ある意味パンドラの箱を空けて、希望を見出しました。そして、それからというものの、正直ものすごく気持ちが軽く、またさまざまなことを前向きにとらえられるマインドでいます。

さて、このコロナ禍でどのように働き方、生き方が変化していくのか…そして、これは大人だけではなく子どもたちも同様です。彼らは何のために学び、何のために学校に通い、何のために生きるのか…これらときちんと向き合い、10年後、20年後、素敵な人生を送ってほしいと心から願います。

さて、パンドラの箱が開かれました。そこに残っているのは希望か絶望か…はたまた!?

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-277~

みなさん、おはようございます。

今悩んでいることが一つあります。

それは、花粉症対策をどうするかです。

私は小学生の頃から花粉症と付き合ってきて…小学校の時には一時期あだ名がマスクマンとなったほどです。まぁ、それを言ったらいまはみんながマスクマンのような気もしますが、この数年は体質改善をしたおかげもあり、症状が軽いんですね。

ただ、念には念を入れていつも一月の下旬頃から薬をもらいに行って毎日服用をしていました。

しかし今年はどうしようかと悩んでいます。

これだけマスクマンの生活が続いていますし、それでいて体質改善もしてなるべくなら薬を飲まないで花粉シーズンを過ごしてみるのも一つかなぁと考えています。

ただ、そうして大変なことになっても困るので…と、いう具合にちょっと最近悩んでいます。

このマスク生活によりインフルエンザなどは流行せず、ある意味これまでとは異なる状況になってきました。だからこそ余計に私自身も薬を飲まないで花粉やその他のウィルスに対抗できるようにしていきたいとも思ったんですよね。

ただ、三月くらいになると本当に花粉飛散数がすさまじいことになる日もあるので、そういう日用に薬をもらっておくくらいはしても良いかなぁと考えています。

さて、そんなことを考えながら、今日はのんびり大学入学共通テストを解こうと思います。

多少のトラブルはあったようですが、二日間の時間が終わり、ここから受験生はまた新たな試験に臨む人が多いでしょう。

本当にこのような状況下で受験生たちはものすごく大変だと思います。ただ、この状況に悲観することなく前向きにとらえていってほしいですね。

ただ、受験というのは誰もが勝者になれるわけではありません。どうしても第一志望に合格できる人もいればそうでない人もいます。そういった中で、結果はもちろん過程も含めてこの経験をどう自分の糧にするのかが受験生に求められているんだろうなぁと思います。

かたや花粉の薬を飲むか飲まないか悩んでいる大人もいれば、共通テストに本気で取り組む受験生もいる…これが人間社会ですね(笑)

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-276~

みなさん、おはようございます。

最近、ものすごくうれしいニュースがありました。ご贔屓のプロ野球球団に最も好きな選手がコーチとして帰ってくることです。と、言ってなんとなくわかりますよね。そう、あの大きな人のチームに、理論派の投手コーチ…桑田真澄さんですね。

私は元々、どちらかというと理論派と呼ばれるプロ選手が好きです。桑田真澄さんをはじめ、野村克也さんなど…たぶん野球で言えばマウンドさばきが上手な投手か、リードが上手な捕手が好きなんでしょうね。

さて、そういう中で、今朝あるテレビ番組を見て、桑田真澄さんの就任会見がやっていました。その時に、「たくさん走って、たくさん投げる時代ではない」というコメントがありました。そのコメントにさらにプロ野球選手のOBがそうは言っても…と、いうコメントがありました。

そのテレビ番組を見ていた時に、やはり私自身は桑田真澄さんのような指導者が増えることが大切だと感じました。もちろん、走りもせず、投げもせず、うまくなることはないでしょう(笑)実際に走りもせず、投げもせずうまくなるのは、きっとパワプロです。

ただ、きっと意味があり、目標・目的を持って、必要な分走って、必要な分投げることが大事なんだと思います。また、よくそれではなかなか根性がつかない、勝負弱くなるなんていうことを聞きます。そして、残念ながらそういう理念のもと、いまだに体罰などがスポーツ界からなくならないことが事実です。

もちろん、誰しもが理論的に行えば、成功するなんていうこともないでしょう。また、勝負根性などはきっと理論的にやっているだけは身につかないのも事実かもしれません。それであえば、その足りない部分をさらに理論的に補ってみたり、むしろあえて理論から外れて自分をそういう場面に追い込むことも必要でしょう。

そのようなわけで、理論派で有名な桑田真澄さんがプロ野球の現場に戻り、どのような結果をもたらすのか…とても大切なことだと思います。

もちろん、桑田さんだけでは成功もしないでしょう。だからこそ、理論的な部分と非理論的な部分をきちんと区別しながら、ある意味コラボしてハイブリッドになり、ご贔屓集団が常勝軍団になったらうれしいなぁと思います。

そして、ご贔屓集団の若干残念な他チームからの移籍中心のチームビルディングではなく、ぜひ積極的に人材育成をして、長期的な視点でのチーム作りをしてほしいなぁと思います。

2021年は日本シリーズでリベンジを果たしてほしいなぁと思う反面…ローマは一日にして成らず…3年後くらいを見据えた新たなチーム作りでも良いかなぁと思う今日この頃です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-275~

みなさん、おはようございます。

ついに共通テストの日を迎えています。このような状況下で受験生のみなさんはいつも以上に大変だったと思いますが、まずは二日間大きなトラブルがなく共通テストが無事に実施されることを願っています。

さて、この年末年始でさまざまなことが整理され、いよいよ動き出した2021年でしたが…動き出すと早いですね(笑)

案ずるより産むが易しということわざがありますが、まさにそのとおりだと思います。

この一週間で目まぐるしく情勢が変化し、ちょっと自分自身追いつけていないです。

ただ、今月中は部活動が停止のため、確実に週末はいつもより時間が取れるため、日曜日は整理の一日として、動き出した事象に対して自分がちゃんとついていけるように準備する日にしたいなぁと思います。

さて、そのような状況下で昨日はとてもうれしい再会がありました。まぁ、電話で話しただけなのですが、本校卒業生で教育実習にもきて、その後大学院に進学していた学生さんと3年ぶりくらいにお話をする機会をもらいました。

すると彼は2020年からとある場所の中学校の先生をやっていて…なんかうれしいですね。

最近はそう20代の本校卒業生の教員が増えてきて、個人的にはうれしさと自分自身が歳を取ったなぁと感慨深くなります。

しかも私が直接面識ある人だけでもこの2020年度から教員になっている卒業生が5人以上もいて、この大変な状況下で教員として苦労しているんだろうなぁと思うと正直頭が下がります。

ただ、こういう次世代の意欲ある若者が意欲を失わない教育現場にしたいと思いますので、そういう意味でも2021年はおもいっきり挑戦するしかありません。

3年ぶりに話した彼からもさまざまな現場の話を聞き、自分自身もエネルギーをもらってやるべきことをやっていこうと思えました。

最近は教員という職業に魅力がなくなってきているという話をよく聞きます。そして、確かに私自身も10年前と比較すると、教員という仕事の多忙さや授業以外の時間を確保するのが本当に難しくなっていると思います。

ただ、このままでは意欲あふれる若者が教員になりたくてもならないという事態に陥ってしまいます。そうならないためにも学校が変わること…このコロナで学校というものも試されているのかもしれませんね。

 

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-274~

みなさん、おはようございます。

「責任・自覚・覚悟」この3つのことについて今日は感じたことをつれづれなるままに書き連ねたいと思います。

なんかふとした瞬間、この3つの言葉が頭をよぎりました。

実は、ある人がこのブログを読んでいると他の人から、聞いてその人のことを思ったらこの3つの言葉が頭をよぎったんですね。だから、その人に対して私は伝えたいと思いますし、きっと伝わると信じて書き連ねます。

まずは責任から…よく責任感がある・無いとか、責任をとる・とらないなんていう文脈で私自身は口に出す言葉ですが、責任って一体何なんですかね。

ネットで調べてみると、「立場上当然負わなければならない任務や義務。」なんていうふうに出てきますが、この責任の範囲や責任の軽重が人によってとらえ方が異なるような気がしています。だからこそ、責任を自分ではとっているとは思っても、周囲からみたら責任感がない人物とみられていたり、その逆もあるかと思います。

特に、日本社会においてはこの責任の範囲や軽重がある意味阿吽で示されているような風土もあるため、この責任の範囲や軽重を明確にする必要があるのかと思います。そうしないとミスコミュニケーションが生まれて、責任感のある人とそうでない人で任務や義務に差が生まれたり、不公平感が生じるのではないかと思います。

さて、次に頭をよぎったのが自覚です。これは、責任とも覚悟とも連動をしますが、こちらもネットで調べてみると「自分の置かれている位置・状態、また、自分の価値・能力などをはっきり知ること。」だそうです。つまり、自分の責任の範囲や軽重を知ることも自覚することにつながりますよね。なんというか、この自覚っていうのがなかなか芽生えない世の中なんですよね。しかも、私が知る限り、自覚を持ってもらいたい人ほどこの自覚がない気がします(笑)正確にいえば、自覚を持てば、より自分の責任の範囲や軽重を知り、飛躍的にその人自身もその周囲にまで好影響を与える人物ほど、この自覚を持つまで時間がかかるような気がしています。きっと、きっかけなんでしょうけれどね。

そして、最後に頭をよぎったのが覚悟です。同じようにネットで調べると、「危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。」だそうです。

さて、ここまでを述べて私が何を言いたいのか…それはきっと責任を自覚したら、あとは覚悟するかしないかなんだと思います。きっと、責任が重く、自覚をしたら周囲に好影響を与えられる人ほど、この覚悟ができるかどうか…とても難しい選択だと思います。もちろん、あえて覚悟しないという選択をするのも良いでしょう。しかし、熟慮して覚悟するのも一つでしょう。ただ、私自身は「責任・自覚・覚悟」の3つが頭によぎったのなら、自分としては覚悟を決めて受け止めて心構えをして、その覚悟に沿って行動をしていきたいなぁと思います。

さて、みなさんは「責任・自覚・覚悟」をどうとらえ、どう活かしていきますかね?

 

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-273~

みなさん、おはようございます。

コロナ禍で、転職を考える人が増えたという記事を見かけました。

もちろん人によっては仕事を失ってしまったり、いまの仕事のキツさから別の仕事へなどというケースもあれば、このコロナ禍をチャンスにという方もいるかと思います。

また、このコロナ禍で産休や育休を取得する方も増えているそうです。

そういう意味でもこのコロナというのは、改めて世界はもちろん日本の働き方に大きな影響を与えているのだと感じます。

私も2020年で大きく価値観が変わりました。正確にいえば、価値観が変わったというよりも、自分自身の大事な価値観に気づかされたというほうが正しいのではないでしょうか。

そういう意味で、この2021年でしっかり動き、2022年以降さらに飛躍するために、自分のあり方を貫き通す一年にしたいと思えました。

なんというかコロナ前だと、物事をあまりに現実的に捉えてしまい、自分で可能性をつんでいることがありました。

また、物事を広く捉えているようで実は縛られていたことにも気づかされ、このコロナというもので、改めてあたりまえにとらわれていることの怖さにも気づかされました。

今から急にお笑い芸人を目指すということはしないとは思いますし、今からプロ野球選手を目指すなんてこともできないとは思いますが、それでも自分で自分の可能性の芽を摘み取るのではなく、死なないなら、生きていけるなら挑戦しようと思わせてくれたのもコロナでした。

小さい組織や小さいコミニュティのことで足を引っぱりあったり、苦手な上司で悩んでいる、言うことの聞いてくれない部下が辛い…よくそんな話を聞きます。

もちろんどこにいっても多かれ少なかれそういった悩みとは直面することでしょう。

ただ、自分にとって何が大切なのか、どんな生き方が幸せなのかを問い続け、そのうえで自分で選択をして生き方を決めていく…まさにそういう時代にコロナがしたんでしょうね。

きっとまだまだコロナとはお付き合いしていかなくはなりません。そのような中、これを悲劇と捉えるか喜劇と捉えるか…どちらにせよ筋書きのないドラマであり、現実社会だからこそ、愉しんで自己決定していくしかないですね。

さて、本日ものらりくらりと自己決定を愉しんで一日を送ります。