先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-19~

みなさん、こんにちは。

今日は「公私の区別」について少し語ってみたいと思います。

さて、そのきっかけはあるふたつの出来事です。

ひとつは、ある本校卒業生で現在歴史系の大学院に所属している教え子と久しぶりに話す機会がありました。もちろんオンラインですれどね。彼女は戦国時代の分国法について研究をしていて、卒論を拝読させてもらうことができました。その卒論では「御成敗式目」を公の法、「その地域に住む民間人の間に相互で効力を発揮する取り決め、掟、約束事」を私の法、そして「分国法」をその間の中の法として論じていました。なかなかに興味深い卒論でしたが、その中身は一旦置いておいて、そこで「公私の区別」って一体何だろうなぁとふと考えさせられる機会をもらいました。

そして、さらにその後「公私の区別」を考えさせられる機会をもらったふたつめのできごとが、LINEグループ稼働の制限時間でした。実は、この社会情勢の中で、勤務校でもさまざまなLINEグループが急に立ち上がりました。どうしても対面でのコミュニケーションが増え、学習支援クラウドポータルサイト)が導入していない本校ではLINEグループが連絡手段としては有効的に利用されています。

しかし、たまたま先日学年ごとにできたある意味公式?のLINEグループを「公私の区別」をつける観点から19:00までをやりとりを終える目安にしようという連絡がきました。もちろん、これについて特に反対の思いはありません。むしろ、比較的多くのLINEグループに加入している私にとっては、ひとつのLINEグループが確実に19:00以降稼働しないというのは負担軽減につながります。また、それを受けて私が責任者を務める学内の部署も稼働時間の目安を9:00~17:00(ただし緊急を要する場合はその限りではない)としました。

さて、この2つの出来事で改めて考えさせられたこと、それは「公私の区別」って一体何だろうなぁ?ということです。私は「公」と「私」つまり仕事とプライベートは二項対立の区別できるものではないという考えを持っています。むしろ、仕事もプライベートも生活の一部ですし、もしそこに境界線があるのであれば、それはグラデーションのように線というよりもぼかされたものなのかなぁと。もちろんそこにはきっと「常識」というものが存在すると思います。きっと深夜2:00にLINEを送信することは一般的には「非常識」でしょうし、あきらかなお休みの日に急を要さない業務を依頼することも違うでしょう。でも、きっとwithコロナでさらにこの「公私の区別」をつけづらくなることは間違いないと考えています。そして、これまで出会ってきた中である意味やたら「公私の区別」をつけたがる方ほど、あまり仕事を楽しんでいない人が多いなぁという印象を受けます。私なんかはきっと「公私の区別」がついていない人と認識されていますが、たぶんものすごく「公私」ともに楽しんでいる、ある意味仕事が趣味ですし、一方でプライベートの時間もしっかり仕事とは別に確保しています。

さて、これからの時代「公私の区別」はどうなっていくのか!?きっと卒業生の彼女が論じたような「公私の間の中」の時代がやってくるんだろうなぁとひそかに期待しています。