先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-36~

みなさん、こんにちは。

今日は「やる」と「やらされる」について考えてみたいなぁと思いました。

昨日、夏の甲子園が中止となりました。私は個人的には高校野球が大好きです。そして、その中止の決定には残念で仕方がありません。でも、野球部だけが特別ではありません。そして、何よりも優先されるのは何か…「命」です。きっと、日本高野連の方々も苦渋の選択であったと思います。そして、各地方大会も中止になりましたが、代替案もあがっているそうです。私はインターハイも中止となり、野球部だけではなく、全競技で何かしら別のカタチで挑戦する機会をもうけてあげてほしいなと思います。もちろん、何よりも優先されることは選手や関係者の安全第一、健康第一ですが。ただ、私がひとつ気になっているのは、東京都の代替案です。日本高野連は「休校や部活動の停止も長期化し、練習が十分ではない選手のけがなどが懸念されます」と公式HPにあります。ただ、そのような中代替案は7月に試合を実施する…もちろん高校3年生は受験があります。でも、もっと現実的で無理ない代替案は無いのかなぁと。きっと、これも苦渋の選択肢の一つなのだと思います。ただ、6月から学校が再開されるとしても、部活動をまともにできるようになるのは、もう少し先のような気がしています。何が正解かはわかりません。でも、ひとりひとりがその選択が正解へと導けるような状況をつくり出してあげるのがきっと大人の役目なんだと思います。今後どうなるかはわかりませんが、数か月後、数年後、いまの高校3年生が、「いま」を振り返った時に良い糧にしてもらえるように、私たちができることを全力でやりたいと思います。

さて、改めて「やる」と「やらされる」について話をします。このような中、間違いなくこの「やる」と「やらされる」の差が出てくると思います。たとえば高校野球の独自の地方大会においても「やる」感覚と「やらされる」感覚で出場するのは大きく異なります。また、これから学校再開に向けて、教職員も生徒も「やる」姿勢と「やらされる」姿勢で学校に通学する意味や学び意義が変化してくると思います。ここまで在宅勤務を続けてきて、まさにこの「やる」と「やらされる」で、時間の過ごし方が全然異なるなぁと実感しています。そして、案外自分自身は「やる」姿勢でなにごとも行える人間なんだと、自分で自分を少しは誉めてやろうと感じています(笑)ただ、時々「やらされる」感覚を持つ時があります。それは一体どのような時なのか?それは、「やる意味(意義)がわからない」ときや、「あきらかに無理やり強いられている」ときですね。そのような時、どうしても「やらされる」感覚になり、正直ストレスも溜まります。ただ、私は在宅勤務が基本となり、圧倒的にこの「やらされる」感覚が減りました。なぜでしょうね?って、正直その理由は明快ですが、ここで文字に残すと誤解を招きそうなので、あえてやめておきます(笑)

さて、インターハイ夏の甲子園も中止となり、高校3年生はどうしても目標を見失いがちになっているようです。ただ、ここから先の人生のほうが長いです。彼らが、「やらされる」感覚よりも「やる」感覚が持てる環境づくりとVisionづくりを私たちがメンターとなってやっていけたら良いですね。