先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-56~

みなさん、こんにちは。

今日は「言われやすい人」と「言われにくい人」についてつれづれなるままに書き連ねたいと思います。

あっ、大前提として私は「言われやすい人」の代表格です(笑)

昔から、何をやっても直接言われることが多く、みんなで何かをしても怒られるのは自分というような人生を送ってきました。やっぱり、若い時、特に高校生くらいまでの頃はそれが嫌で嫌で仕方がなかったんですね。だって、同じをことをやっても文句を言われたり愚痴られたり、怒られるのは自分だけ…正直損な役回りだなぁと。

また、働き出しても自分が注意されるのはもちろん、自分の近しい人が何かやらかしても、なんとなく私のところに情報が入り、私から注意することも多く、なんというか「いい加減にしてくれよ(笑)!!」と思うこともありました。

特に自分自身にゆとりがないと、正直頭にきたり、悲しくなったり、落ち込んだりすることもあり、なんでこんなに「言われやすい人」なんだと悩んだ時期もありました。だって、同じことをやっても直接文句を言われなかったりする人に比べて、嫌な思いをすることは多いですからね(笑)

ただ、そういう時こそ自分自身で発想を転換するようにしています。それは、陰で愚痴られるよりも、直接言われたほうが、自分自身が成長する機会をもらえていて、「お得」だと(笑)

逆に私は「言われにくい人」の人生を体験したことがないので想像に過ぎないですが、「言われにくい人」、むしろ私が「言いにくい人」って、良く考えたら、何を言っても逆切れしたり、言っても意味がない人なんですよね。言葉を悪く言うならば、「言うだけ損」というやつです。よく考えたらそうなんですよね。言われにくい人って、ある意味言いたくない人ですし、言ったところで相手に響かない、変化が起きないのではないかなぁと。

そう考えると、「言われやすい人」って、ちょっとつらい面もありつつも、実はお得なんじゃないかなぁと。もちろん、言ってくる人すべての意見を聞き入れる必要はありません。ただ、他者が何かを言ってくれるということは、非常にありがたいことですよね。

そう考えると、ある意味死ぬまで「言われやすい人」であり続けたいと思えました。そして、「言われやすい人」でありながらも、なんでもかんでも鵜呑みにすることなく、その他者からのポジティブだったりネガティブな意見をすべて一旦は受け入れて、そのうえで自分自身に落とし込んで、自分自身を成長する糧にしたいと思っています。

さて、なぜこんな内容を本日書いたのか?実は朝から3件も、「言われる」ことがあったんです(笑)さすがに3件も連続だと、一瞬萎えてしまったんですね。でも、そこから朝から3件も考え、成長できる機会をもらえたと思ったら、なんかものすごく楽しくなり、こうしてつれづれなるままに書き連ねています。

さて、今日も朝から良い気づきをいただけたことに感謝しつつ…このブログを書いている間にも1件増えました(笑)あー、人生ってオモシロイ!!