先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-108~

みなさん、おはようございます。

「初動」今日は、このことの大切さについてつれづれなるままに書き連ねてみたいと思います。私が自称トラブルシュータ―として大切にしていることとして、「初動」をいか動くか、これをものすごく丁寧かつ慎重に考え、そのうえで迅速に対応するようにしています。

何か問題が起きた時に、この「初動」を誤るとその問題はどんどん大きくなってしまいます。しかし、きちんとした「初動」を取ると、問題自体もそう大きくならず、また問題を解決したことにより、その問題が起きた関係者にとってプラスに働くこともしばしばあります。

そういう意味でも、この「初動」というのがとても大切だと感じています。

実はつい最近も、ちょっとした問題が身の回りで起きました。これまでの経験則からいっても、「初動」を誤ったらまちがいなく大きく、また当分先までの残る問題だなぁと直感的にとらえました。

そこで、まずは問題の概要をきちんとヒアリングしたうえで、そこからどのように対応するのか自分の中でロードマップをつくりました。長年トラブルシュータ―をしていると、勝手に頭の中でロードマップが浮かんでしまう悲しい習性があります(笑)

そこから、誰にどの順番で話し、そのうえでどのように問題を解決していくのか、将棋のように順序立てながら、かつ他者との対話と傾聴と承認を心がけて行います。

そうすると、もちろんこちらのロードマップどおりにいかないこともしばしばありますが、組織全体を揺るがすような大きな問題になることはあまりありません。しかし、この「初動」を誤ると、その後どのようにリカバリーしようとしても、なかなかリカバリーすることはできません。だからこそ、私は「これは問題だな」と感じたものについては、最優先かつ真摯に対応するように心がけています。

これは、対生徒はもちろん、対保護者、対同僚、つまり私が教員としてかかわる方々みなさん共通です。ただし、ここで忘れてはならないのは、決してロードマップを描いて、初動から順序立てて対応していくことが重要なのではありません。それでは、何が大切なのか?

それは「真摯さ」です。

真摯に対応すれば、おのずと「初動」から真摯にきちんと対応できますし、たとえ順序が誤っても真摯さが伝われば、その問題がそう大きくなることはありません。

だからこそ、私は常に「真摯さ」を大切にしながら、「初動」から真摯であろうとしています。そして、問題というのは解決をした時、必ずプラスに働きます。つまりプラスにするための試練だととらえれば、そう辛くなることもないですからね。

さて、もちろん問題が起きないことにこしたことはありません。でも、問題が起きた時、それをどうとらえ、どうしていけるのか…常に「真摯(紳士)な人間」でありたいですね。