先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-153~

みなさん、おはようございます。

最近「積ん読く」の本が少しずつ減ってきました。本を読む時間が確保できているのは、自分自身にとって良いバイオリズムの証で、むしろ6月~8月の3か月はそういった時間がまともに確保できなかったので、健全な生活になってきましたね。

本を読む、映像を鑑賞する、この2つは私にとって教養を得ながら、感性を磨く重要な時間です。しかし、正直これらの時間を確保することは容易ではありません。

よく最近の若い人は本を読まないと言われますが、果たして本当に読みたくないから読まないだけなのか…私は一概にそう言えないと感じています。と、いうのもその若者である高校生たちと直接関わる仕事をしていますが、彼らの生活を見ているとそうゆとりがあるように見えません。もちろん、人によって異なりますが、高校生たちは余暇を大きく3つに使っています。部活、勉強、バイトや友人との遊び…私はこの3つはとても大切な時間だととらえています。そう考えると、なかなか本を読む時間を確保するということは、自ら積極的に確保をしないと難しいんですよね。もちろん読書が趣味で、積極的に時間を確保している人もいますが、なかなかそうでもないと読書をする時間の確保は難しそうですね。特に運動部をバリバリ行っている学生と、受験勉強バリバリの学生は大変だろうなぁと。

なんというか大人だけではなく、日本の学生たちは「マスト」のタスクが多いような気がしています。だから、どうしても余暇を遊びに使ったり、睡眠に使ったりと感性を磨く時間に使ういとまがないんですよね。

なんかもったいない気がしています。もちろん、私自身も自らの感性を磨く読書や映像鑑賞はどうしても後回しになってしまいます。しかし、それらの時間を確保できた時はおおいに愉しみようにしています。

この先、日本社会が発展をしていくために、次世代の若者たちが感性を磨くために、ハンドルのゆるみのような時間をしっかり確保すること…とても大切だと感じます。

そして、もちろんそれは大人にも同様です。生きていくために学ぶ、生きていくために働く、もちろんそういった側面もありますが、人間として生まれた以上、あり方を大切にして、何のために学ぶのか、何のために働くのかをさらに追求していく必要があると思います。

さて、本日は午前中ガッツリ仕事をしたら、午後からは感性を磨く時間に費やしたいと思います。仕事中も自宅だからできる音楽鑑賞をしながら…午後は映像鑑賞と積ん読くを解消しつつ、夜は2つのオンラインミーティング。脳と身体を休ませつつも感性を磨く、そんなアクティブレストを愉しむ今日この頃です。