先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-165~

みなさん、おはようございます。

「ジョブローテーションとみえる化」今日はどうしてもこのことを書きたいと思い、部活に行く朝の電車の中でつれづれなるままに書き残そうと思います。

実は、私自身校務分掌も部活動も10年以上変わっていません。もちろん、こまごまとした業務内容などは変更していますが、どちらも専門ではない業務ですが10年以上変わることがないんですね。

ふとそんなことを考えていると、いまの仕事に満足していないわけではなく、ただ他の業務もやってみたいなぁという思いが出てきました。

しかしなぜか私自身変わることなくここまできてしまいました。

そして、学校全体を見渡すと部活や校務分掌が変化する先生とそうでない先生がハッキリ分かれているんですよね。ただ、私自身は一私立高校、つまり一企業としてジョブローテーションが絶対に必要だと思います。

たとえば、校務分掌専門で採用された先生というのはそう多くないと思います。つまり、校務分掌は誰がどの仕事をやっても良いんです。もちろん適性などはありますので、なんでもかんでも誰がやっても良いというものではないことはわかっています。

しかし、良い意味で仕事を回していかないと組織は動脈硬化を起こしてしまいます。

また、部活動についても専門で採用された先生は別として、副顧問はむしろ回すべきだと思います。やはり部活動によってその仕事内容の差はとても大きいです。3年程度のサイクルで回して、さまざまな部活指導などを経験することがむしろ教員としての糧になるのではないかと思います。

それでは、なぜそれがなかなか行われないのか?それは、「みえる化」ができていないんですね。教員の仕事というのは表面的に見えている仕事以上複雑です。だから、本来であればきちんとタスクをみえる化して、そのうえでのマネジメントや人員配置が必要不可欠です。しかし、そうなっていないのが現状です。

また、日本の学校というのはある意味古風です。そのあたりに興味のある人は『失敗の本質』という本を手に取っていただければ納得してもらえるかと思いますが、とにかく古風な組織が多い印象です。そうするとタスクのみえる化や人員配置よりも感情や義理人情、人間関係が組織づくりに大きく影響します。すると、もちろん良い面もありますが、そうではない面も出てきてしまうんですよね。

ただ、このwithコロナの時代で学校も岐路に立たされていると感じます。コロナ前に戻そうとするか、コロナにより新しい学校に生まれ変わるのか…

おそらくこの数年でその結果がわかりますね。

そんなことを考えながら、今日ものんびり部活です。