先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-168~

みなさん、おはようございます。

最近、気づいたことがあります。それはどうも私は「自伝」を読むことが好きだということです。もともと歴史に興味を持ったのも、幼い頃の学習漫画の自伝シリーズです。野口英世キュリー夫人、キリストなどを何度も何度も読み返した記憶があります。

そして、今もそういった自伝を手にとることがあります。もちろん、マンガではないことがほとんどですが、あえてマンガを手に取ることもあります。

なぜそれに気づかされたのか!?実は最近、スポーツ指導者の自伝を読むことが多くありました。なんというか指導法や理論などを読みたいとは思わないのですが、その人の経験をもとに書かれているものだとどんどん読み進められるんですよね。

そういう意味でどうも私は自伝、つまり人物史に興味があるんだということがこの年齢になって再認識できました。

実は今もちょうどある指導者の自伝を読んでいます。おそらく一流指導者と呼ばれる人物にあたり、その人のこれまでの半生を振り返りながら、指導法や理論などがちりばめられています。

最近感じることは、こういった指導者の本を読めば読むほど、一流と言われる人は変化しています。もちろん、変化しない確固たる部分もあります。ただ、ある意味その確固たる部分すらもきちんと変化、否、進化させながら指導にあたっているということがわかります。

そして、一流と言われる人ほど「聞く耳」を持っています。おそらく、そういう意味では謙虚であり、変なプライドが無いんでしょうね。

私もいわゆる一流と言われる指導者と実際に会ったりお話したりする機会がありましたが、やはりそういった方ほど謙虚で変なプライドがなく、なんというかこの人についていきたいという気持ちにさせられる方が多いです。

それでは、逆に二流、三流と呼ばれる人はどうなんでしょうね。スポーツ界でいえば、いまだに暴力や暴言、押し付け、思い込みで指導されている方がそれに該当するでしょうね。残念ながら、いまだに学校現場ではそういったことが無くなりません。もちろん、さまざまな状況があるため、私は一概に何が悪く何が良いと評価することはできません。

しかしながら、自称一流、実際は二流、三流にみえる指導者の方ほど、聞く耳を持たず、変化することなく、横柄な態度で暴力・暴言まがいな指導をしている実態があります。シンプルに残念です。私も残念ながらそういった場面を見たことがあります。なんというか同じ学校現場に身を置く立場として残念ですが、それが実態です。

さて、私も一教育者です。まだまだ一流には程遠いですが、一流と呼ばれる人の指導を学びながら、二流、三流に見える方の指導を反面教師として、これからも日々学んでいこうと思う今日この頃です。自己満にならない指導を…。