先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-207~

みなさん、おはようございます。

今朝は久しぶりに寝坊です(笑)と、言ってもいつもより2時間くらい遅い起床ですが、これから本日は外部説明会のため、スーツをまとって出かけたいと思います。

さて、昨日私が担当している授業で生徒が「平等と公正」についての授業をワークショップ形式で実践してくれました。いわゆる総合学習(勤務校では学校設定科目の土曜講座)のような位置づけの授業で、2学期は生徒がチームをつくり、そのチームでWSをやるというになっています。そして、大テーマはSDGsです。

その中で、改めて私自身「平等と公正」について考えさせられました。おそらく、「平等と公正」についてどちらが「是が非か」と論じるものではありません。おそらく、どちらも一長一短あるでしょう。しかし、私が本当に感じたのは実質的平等と悪平等が世の中にはあるなぁと。そして、それであれば公正のほうが良いのではないだろうか。しかし、公正も過剰な支援になってしまっては、そもそも公正でなくなると…。

そういう意味で、社会や組織において、この「平等と公正」の均衡を保つことに必要なのは、その「平等と公正」の均衡を保つことのできる権利と権限を持っている人物の役割がとても重要だということです。

実は、先日ものすごく悪平等と感じる出来事がありました。例えば、学校において仕事量というのは決して平等になりません。そもそも教科もそれ以外の業務も違うわけですから、全く同じ仕事ということはなかなかないでしょうね。だから、企業によっては歩合制や成果主義を取り入れたりしています。しかし、なかなか学校などの組織ではそういう文化は入りません。だからこそ、私はなるべく「平等かつ公正」になるように組織をマネジメントする立場の人がそこに介入するべきだと思います。しかし、残念ながらそうではない組織も数多くあります。

すると、きっとその組織自体のパフォーマンスも下がりますし、組織で働く個々のパフォーマンスや幸福度も下がってしましょうでしょう。だからこそ、私は社会や組織をマネジメントする人物に対して、この「平等と公正」という価値観を大事にしてもらいたいなぁと思います。私自身、ある意味中間管理職として自分の部門については、この「平等と公正」、そして何より「私の幸せ」「社会の幸せ」という小・大の視野よりも「みんなの幸せ」、つまり「We are happy!」の視点を大切にしてマネジメントするようにしています。

むしろ、マネジメントする立場の人はこの視点で欠落しているのであれば、マネジメントするべきではないと思います。

本日は少し過激なことをつれづれなるままに書き連ねましたが、「We are happy!」の視点を大切にしつつ、責任を持ち、平等と公正の均衡を保てる人間でありたいですね。もちろん、まずは自分自身がです。