先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-211~

みなさん、おはようございます。

最近、本を読む機会が増えて、そのおかげで「思考」をすることが増えました。

その中で、ここのところテーマとしているのが、”真意”ということです。

もう少し平たく言うと、”本音”というやつですね。

本音って一体なんでしょうね。昔、映画(TVドラマにもなっていましたが)で「サトラレ」というものがありました。自分の心の中で思っていることが他人に聞こえてしまうというストーリーでしたが、主人公以外はそれがわかっていて、主人公だけがさとられていることをしらないというお話でした。

その作品を鑑賞した時、ある意味ものすごく怖い話だなぁと思いました。

正直、私が心の中の声が他人に聞かれていたとすると…笑えないです(笑)

きっと、そういう人が少なくないと思います。そのような中で、本音とは一体何なのか、最近ものすごく考えることがあります。

やはり年齢を重ねるにつれ、正直本音を伝える機会と場面が減ってきたなぁと感じます。特に仕事上ではそうなってくるんですよね。いわゆる本音と建前というやつですね。

本当は伝えたいことを建前で伝えたり、単刀直入に言うのではなく変化球で伝えたり、ある意味どんどん建前の引き出しが増えてきます。だからこそ、本音を伝える場や相手の大切さを実感するようになってきます。

しかし、この本音というのも難しいですよね。だってある意味、本音なんですから、これ以上何も出ないわけです。つまり、ある意味最後の砦なんですよね。だから、たとえば本音を伝えたり、真意に基づいて行動してうまくいかなかった場合、一旦引き下がったりある意味敗北を認めざるを得ないんですね。

だからこそ、ある意味本音を伝えたり真意で行動する時慎重になりがちです。そして、人によってはそういうリスクがあるからこそ、本音を伝えなかったり、真意で行動しない人もいるような気がしています。

最近、自分自身は本音を伝えていられるのか、そして真意で行動できているのか…きちんと振り返ってみたいと思います。比較的そうできているかなぁとも思いつつ、特に大事な場面ではそうしていると感じます。あとは、本音でぶつかった時、相手がきちんと本音でぶつかってきてくれるのか…それも大切だよなぁと思いつつ、今日もできるかぎりと本音と真意に基づいて生活をしようと決意する今日この頃です。