先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-214~

みなさん、おはようございます。

このコロナ禍になって、改めて大切だなぁと思うことがあります。

それは、「ともに時間を共有する」ということです。

実は、このコロナ禍になって、ともに時間を共有する機会が増えた人と減った人がいます。

もちろん、それはコロナ禍でなくともそうだと思いますが、むしろこのコロナ禍になってそれが顕著になったような気がしています。

そのような中で、時間を共有する機会が増えた人ほど、なんというか気持ちが通じ合っている感覚があります。そして、もちろん減った人とはなかなかそういう感覚が養われていないなぁという実情もあります。そのように考えると、ともに時間、もっと正確に言えば同じ場にいるということはとても大切なことなんだと思います。

最近、コロナ禍になって良い意味でリモートワークが進んだり、分業制に加速がかかったと感じます。こういう時代の流れに個人的にはものすごく良い流れだと感じつつ、一方でその危うさも感じています。

と、言うのもどうしてもともに時間を共有する機会が減り、もちろん同じ場にいることが減っていくことは間違いないからです。そうすると、きっとそれまでとは違う関係性が構築され、それが良い方向に向かえばいいのですが、そうでないことも考えられるでしょう。

もちろん、新しい生活様式の中で、人間関係の構築も変化させていく必要があるのでしょう。ただ、そうは言っても限界があります。そういう中で、ともに時間を共有しない、同じ場にいない中でどういった素敵な関係を築いていけるのか…ある意味私たちひとりひとりが問われている気がしています。

先日、久しぶりに会いたい人と同じ時間を共有し、同じ場、つまり空間をともにデザインしました。それまでも電話やオンラインでは連絡をとっていましたが、何往復かのLINEより、一本の電話より、一度のZoomより、一度会った数時間をともに共有しただけで、ものすごくさまざまな化学反応が起きたと感じています。

そう、やっぱり人間は「生(なま)」の生き物なんだと実感しました。

さて、これからさらにこの新しい生活様式、時間をともに共有せず、同じ場にいない関係性が増えてくると思います。そういった時に私たちにできることは一体何なのか!?

そして、そういった時に自分がどうしたいのか?自分がどうあるべきなのか?

そういったことをのんびり考えながら、本日も日曜日で部活と学校説明会を通じて、生徒と同僚と同じ時間を共有し、同じ場を愉しみたいと思います。