先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-226~

みなさん、おはようございます。

今日は久しぶりに始発出勤です。ここ1か月くらいはだいぶ落ち着いてきたので、寒さも厳しくなってきていたので、始発出勤はしないかなぁと思っていましたが、本日の仕事量、正確には午前中に仕事がつまっていて、気づいたら始発でした(笑)ただ、逆を言えば午前中乗り切れば午後から夜にかけては比較的のんびりと仕事にあたれそうなので、先行逃げ切りでロケットスタートを決めようと思います。

さて、最近感じるのは「温度差」をどうするかというものです。と、言うのも最近私が顧問をしている部活では、「自主練」が盛んにおこなわれるようになってきました。おそらく、この「自主練」は、完全に自主的に行っている練習です。だから、朝練などを見ているとなんとなく元気をもらいます。それもそうですよね。やらされている自主練習よりも、やっている自主練習というのは本当に素晴らしいなぁと感じます。

ただ、それが全員かと言われるともちろんそうでもありません。毎日自主練習をする者もいれば、定期的に行うもの、また全く行わない者もいます。もちろん、それぞれに置かれている事情は異なるため、みえる自主練をやること=自主的に練習をしているとは言えません。

ただ、なんとなく感じるのはそこにうっすらと見える温度差です。きっとこれは言葉ではうまく言えないものなんですが、こういった自主練習の雰囲気が出てくると、必ずぶち当たる壁だと思います。それは、チーム全体として温度差が出てくるんですよね。その時に、いかにチーム全体をひっぱっていけるのか、ここが正念場だと感じています。

これは、自主練を強制することではありません。ただ、それぞれが自主的に考え、きちんとした当事者意識を持って、それ相応の行動をするということだと思います。

そして、その結果が朝練習であったり、休養であったり、勉強であったり…行動に正解はありません。しかし、それぞれが自分のこと、周囲のことを考え、納得解を導き出せるかが大事なんだと。

そういう意味でも、チーム、組織の温度差が出始めてきた時、それをいかに埋めるのか、またいかに良い方向に導いていくのか、それこそがリーダーの役割であり、個人個人の意識の持ち方にかかっていると思います。

このまま温度差がどんどん広がっていったら、チームとしては機能しません。だからこそ、ひとりひとりが一体何ができるのか!?一部活、一会社の中でもこういったことが起きた場合にそれぞれが納得解を出し、チーム全体の問題として考えられる組織であると良いですね。なんとなくそんなことを考えた始発電車の車内でした。