先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-232~

みなさん、おはようございます。

昨日は静岡より他校の先生が視察に来てくださりました。

このコロナ禍でなかなかこういう機会が無かったのですが、私にとっても生徒にとっても非常にありがたい機会をもらいました。

1時間目と2時間目の私の授業を見学してもらった後、3時間目で私と同僚を含めての情報交換会、そして4時間目は情報交換の続きと校内見学という流れでした。

視察に来てくださった先生方にどれだけプラスになったかは定かではありませんが、少しでも来校した意味があったと思ってもらえるような時間だったらうれしいなぁと思います。

さて、昨日はとても複雑な感情になる出来事がありました。なんというかいまだに落とし込めませんが、とにかく複雑な感情になりました。

しかも、それが起きたのが夕方から夜にかけてで、それまで視察に来てくださった先生方のおかげで、とても晴れやかな気分だったからこそ、その晴れやかだった気分に雲がかかったようでした。

ただ、それがとてもつらいことや悲しいこと、苦しいことだったらわかりやすいのですが…なんというか「もどかしい」ことでした。

実はその「もどかしい」ことが3つほど重なり、だからこそいまだに落とし込めていない原因だと思いますが、その3つのことはどれも他者から見ているとこうすれば良いのでは?というある意味正解が見えていることなんですよね。ただ、その当事者から見るとそこに何かしらの強いこだわりがあり、それを変えたり手放すことができていない、そういった事象でした。そして、その結果当事者の人は周囲に悪影響をおよぼしたり、自分自身が落ち込んでしまったり、つらい思いをしているという現象でした。そのうちの1つの事象については、私もさすがに見かねて介入しましたが、それでもその当事者の人にはなかなか響いていない様子です。こういうことって、本当に難しいですよね。

三者の視点で見ると、答えはとても簡単に導き出せるのに、当事者になると、視野が狭くなったり、こだわりが強くなった結果、なかなかその答えにたどりつけない…そういうことってよくあることだと思います。私自身もきっとその当事者であることもあります。

しかし、だからこそそういう時に、第三者は何ができるのか…でもそういう時って結局は自分、つまり当事者が変わろうとしたり気づかない限りは打破できないんですよね。

だから、私も3つのもどかしい事象がありましたが、その中でも一番どうにかしたい、一番どうにかなりそうなものに介入しましたが、正直それもそこまでの手ごたえはなしです(笑)

だからこそ、こういった時、自分が当事者だった場合、入り込みすぎず、時に俯瞰できるゆとりを持つことが大切だと感じました。つまり…気づいたにも関わらず何もできない自分にもどかしさも感じている、だから複雑な思いになっているんだと思います。

ただ、何もできないものはどうやってもできません。だから、今日もできることを楽しみながらやっていく、そう気持ちを切り替えて、今日ものらりくらりやっていきます。