先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-236~

みなさん、おはようございます。

昨日は久しぶりの日曜休みだったので、部屋の片付けをしながら年賀状の準備しつつ、年末年始に備えて諸々準備をしていました。

年賀状を早い段階で準備できる年はゆとりがあるので、なんだかんだ今年もゆとりがあるようです(笑)

さて、昨日はそのような中、ひとりの尊敬する卒業生と電話で対話をしました。

現状報告がメインだったのですが、自分自身の内省につながる時間でした。

 

その対話で私が痛感したのは、自己分析の大切さと実行力、そして何より「こうあるべき」という固定観念をぶち破ることでした。

 

まずこの自己分析…やはり己を知ることで自分に何ができるのか、自分が何をしたいのか、たとえどのような社会になったとしても自分の軸がしっかりしていることがとても大切なんですよね。

時にやりたいことが無いとか、やりたいことだらけでどれからやれば良いかわからない、また忙しくてやりたいことがやれないなんていうことを耳にします。

しかし、それこそ自分自身が確立できているか否かなんだと思います。そのためには自己との対話が大切ですし、自己を認識していくために他者との対話も大事ですよね。

そして、自己分析をしっかりしたら、そこからしっかり行動できるかです。いわゆる実行力ですが、自分自身のあり方を確立できているのに実行しない、実行できない人もいますよね。

またやたらめったら行動、実行はするけれども、実は自分の軸が確立されておらず、実行することが目的になっている人もいますよね。よくあるのが資格ハンターの人なんかは資格を取ることが目的、理論武装することが目的になっていて、本来の目的は?というところにフォーカスすると止まってしまう人もいます。

そして、何より一番大切なのは「こうあるべき」という固定概念、つまり「べき論」からの脱却です。

こうあるべきというのを自分に十字架のように課しているだけならまだしも、その十字架を他者にも押しつけてくる人がいます。

もちろん、社会に生きるうえで最低限のマナーやルールは存在し、その中で逸脱することはあまり得策ではないでしょう。

ただ、そういった次元の話は置いておいて、いかにこうあるべきは本当にそうあるべき?と常に問い続けられることが大切なのではないかなぁと思います。

社会で生きる場合、こうあるべきにすがっていたほうが実は楽なんです。って、私はそう感じます(笑)

だからこそ、いかに自分がこうありたいを大切にして、いかにこうあるべき論者と仲良くコミニュティを構築していくのか、ある意味その繰り返しなのかもしれません。

先生だからこうあるべき、一度決めたからこうしなきゃ、伝統だから壊してはいけない…個人的には一度すべてぶっ壊して考えてみたら?と思う今日この頃です。

さて、今日ものらりくらり自分のありたいを大切にして一日を過ごします。