先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-270~

みなさん、おはようございます。

昨日は自分自身にとって気づきの多い一日でした。その中でも、とある出来事が印象に乗っているので、振り返りの意味を込めてまとめておきたいと思います。

私は学校設定科目で約10年、「チーム作り講座」という授業を担当してきました。わかりやすくいえば、総合学習のような位置づけで、1,2年生を対象に週に連続2コマで、コミュニケーション、傾聴、チームビルディング、プレゼンテーションなどをテーマに行うワークショップ形式の授業です。たいしたことをやっている授業ではないのですが、この授業は卒業生の大学生や社会人の方が毎週のように運営メンバーとしてお手伝いにきてくれて、きっと「熱い思い」で成り立っている授業なんだと思います。

最近ではこういう授業もふつうに行われているような気がしていますが、はじめた当初はそうでもなかったかなぁという印象を受けています。

そのような中、この授業を手伝ってくれた大学生が大学院に進学をして、この授業を研究してくれることとなり、そのインタビューを受けたんですね。

そのインタビューで、私自身とても大切なことに気づかされました。そして、そのインタビュー後にも他の方と対話する機会があり、それらを踏まえて大事な気づきをまとめて置こうと思えました。

 

①再現性を高めるのがプロ…しかし場づくりに再現性を求めるのは!?

→私自身、正直チームをつくるのは苦手です(笑)好きではあるのですが、どちらかといえばひとりが好きですし、たぶん根本は個人主義です。しかし、苦手なチーム作りをテーマに授業をしていくうえで、10年も行うとそれなりに勉強と経験を積んで、得意とは言わないまでも及第点の場をつくれるようになってきます。よくプロスポーツ選手などは、一流になればなるほど再現性が高まるという話をききます。たしかに、場づくりもある程度再現性は求められるでしょう。しかし、場づくりというのはまさに生き物です。たとえ、同じテーマで同じコンテンツで授業をしようとも、そこに再現性を求めるのはある意味場づくりの大事な部分と反している気がしました。

 

②場づくりを継承するのは難しい!?

→私自身、この「チーム作り講座」を2021年度で閉講することとしました。さまざまな事情はありますが、「てばなす/自分自身に区切りをつける/新たなことに挑戦したい」などという思いから一旦辞めることとしました。ただ、本音で言えば誰かにこういう授業を継承したいという思いもあります。しかし、自分の後輩にそういう話をしても「●●先生だからできるので僕には…」なんていうことを聞きます。もちろん、強制するつもりはありませんが、場づくりをメインとした授業というのは継承が難しいのかなぁとも思っていました。しかし、正確にいえば私がきちんと継承していないともいえるかとも感じさせられました。インタビューを受けて、私自身近しい人にこの授業をはじめたきっかけや目的・目標をきちんと伝えていないんだろうなぁと。そういう意味でも、誰かに伝えたいと思う反面、無理はしたくないなぁという本音もあります。

 

エビデンスベースからの脱却!?

→この授業を10年継続してきて、実は同時に大学の先生と共同研究をしてきて、受講者の社会的スキルや自己肯定感が向上する授業ということはわかってきました。

しかし、最近思うのは、なんでもかんでも数値や成果に表さなくてはいけないのかなぁということです。もちろん、点数などに反映されれば、とてもわかりやすいです。しかし、これからの社会、きっとこれまで以上にそういった目に見える評価ではなく、目に見えない評価の部分が大切になってくるような気がしています。もちろん、そういった評価や研究を否定するつもりはありません。ただ、コロナ禍で社会はどんどん変わっています。そういう中で、改めて私たちひとりひとりが大切にすべきことを大切にしないと、きっとこの社会はチームなんかつくれない、わがままで好き勝手で自分さえよければいい社会になってしまうんではないかなぁと危惧しています。

 

久しぶりに長々と書き連ねてみましたが、最後に…その場にいるだけで場が和んだり、場をあかるくしたり、場をあたたかく人っていますよね。そういう人って、とても大切ですよね。でも、そういう評価ってきっと点数化はできません。

ただ、自分自身、最近そういう人が近くにいて救われていることが多々あります。

改めて、最後は人というのはスキルや評価や地位や名誉ではなく、心が大切なんだと思います。

みなさんは、何を大切にして生きていきますか?そして、みなさんにとって改めて大切なものは何ですか?