先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-76~

みなさん、おはようございます。

さて、昨日は会議デーで結局朝の「黄金の100分間」、昨日は始発で言ったので実は+60分の「160分間」がありましたが、それを持ってしても帰宅したのは21:00を過ぎていました。朝5:30から学校にいて、21:30までいたので…16時間労働、はいなかなかですね(笑)

さて、そんな一日でしたが、本日が週に1回の週休日ということもあり、なるべく昨日で仕事をしてきたという事実もあるので、昨日は忙しいながらもかなり充実した一日でした。

そのような最中、ひとつ考えさせられることがおきました。

それは「破っても怒られないルールの破り方」です。実は、昨日ある人がルールを破り、怒られたという話を聞きました。そして、また別の人からルールを破っても怒られなかったという話を聞きました。

もちろん、そのルールは違います。破り方も異なります。でも、ルールを破ったという事実は変わりありません。

しかし、そこに何の違いがあるのか…もちろんこういうことで大事になるのが、「誰がやったのか」ということは大きく左右します。会社の社長がルールを破るのが、一社員がルールを破るのかでは全然違いますよね。ただ、それを一旦置いておいて、同じ人物が別の2つのルールを破った時に、片方は注意され、片方は見過ごされる…その違いについて考えてみました。すると、ものすごくシンプルで明確な答えが見えてきました。

それは、そのルールを破ったとして、自分にだけ利益がある場合と、他者に不利益がある場合、注意をされるなぁと。昨日ルールを破って注意されなかった件は、確かにルールは破っています。でも、それは多数の利益を考え、また他者に不利益を生じる可能性も著しく低いものでした。一方、ルールを破って注意された件は、特に他の人に利益があるわけでもなく、他者に不利益が生じる可能性は高くはないものの、相対的に考えると確かに不利益になると感じられるものでした。

つまり、組織や社会への貢献を考えてルールを破るのか、自分のことを考えてルールを破るのかで、その結果が異なるのだと。

そう考えると…意外と私はこれまでそれなりにルールを破ってきましたが(笑)、あまり怒られたことはありません。そして、怒られたり注意された時には、確かに自分のことだけを考えてルールを破っていた時でした。

なんていうか、シンプルかつ明確な答えでした。つまり、自分がどうありたいのか、なんかそれが問われているような気がした一日でした。さて、今日はしっかり休養して、また一週間後のお休みまでのらりくらり楽しめるように鋭気を養いたいと思います。