先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-126~

おはようございます。

昨日、系列校に見学に行きましたが…改めて学校、教育に必要なことの一つを感じ取ることができました。それは何か?「空間」です。

私は部活の関係で、よく他校に練習試合に行きます。その際も、なんとなく他校の様子をリサーチしてしまうのですが、特に昨日は「空間」の大切さを感じました。

と、言うのも勤務校は都心にある学校で正直オープンスペースがあまりありません。どちらかと言えば「せまい空間」の学校のひとつです。しかし、系列校は東京ではないということもありますが、まさに「学園」のような空間で、その空間に圧倒されました。夏休みということもあり、生徒の数はそう多くありませんでしたが、その「空間」のサイズが教職員や生徒の心のゆとりにも影響してくるのではないかなぁと感じました。

なんというかどうしてもせまい空間しかない学校だと、互いに互いのことがよくもわるくも見えてしまうんですよね。それが結果的にそんなことをしているつもりがなくても、「監視システム」のような機能を発揮してしまっている気がします。

どうしてもせまい学校にありがちのようなのですが、見えなくても良いことまで見えてしまうというものです。そして、それが生徒同士、教職員同士、生徒と教職員という関係性で起きやすいと思います。

一方、空間にゆとりのある学校では、そういうことが起きづらいようです。なんというかお互いその学校の一員だけれど、関係性が薄いというか、それでもつながっているというか…

もちろんせまい空間、ひろい空間の良し悪しはあると思います。そして、隣の芝生は…という考えもあるので、一概に「ひろい学校=いい学校」という定義づけはできないと思います。

ただ、なんというか全校生徒&全教職員の人数に対して適正な空間の確保、これはものすごく大事なことだと改めて感じました。そして、何より私は10年以上比較的せまい空間の学校で勤務していたため、ひろい空間の学校に憧れてしまいます。

他校の先生と話すと、やはりせまい学校は共同体的な文化になり、ひろい学校は企業的な文化になることがあるそうです。もちろん、どちらも良い部分と悪い部分があるでしょう。ただ、適正な空間の確保…教育現場において大切なことのひとつと感じた系列校訪問でした。

あっ、ちなみに系列校の昨日テレビに出演した件は、残念ながら惜敗でした。でも、ものすごい活躍をしていて…系列校ながら誇らしかったです。