先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日~

東京の私学の先生がコロナ禍に置かれた教育現場でなんとなく奮闘する物語です。

先生vs.コロナ~終戦Xデーまであと★日-224~

みなさん、おはようございます。

いよいよだいぶ寒くなってきましたね。本格的な冬の到来を感じつつ、とにかく体調管理をしっかりせねばとより一層身を引き締めて過ごそうと思う今日この頃です。

さて、いよいよあと一週間もすると12月になります。私自身、あと一週間を乗り切ればだいぶ仕事が落ち着きます。もちろん、12月も年末までお休みは週に1回しかないですが、それでも部活がお休みになり、授業も期末試験などのため、だいぶ時間的なゆとりがあります。しかしながら、部活が落ち着くとだいぶ時間が取れる=部活の業務量をいかに減らしていくかが今後の持続可能な学校としての大事なポイントだとひしひしと感じています。

と、言うのもこのコロナ禍で当初生徒たちは勉強も部活もやらされているのではなく、自らやっている印象でした。しかし、本校にかぎらず、世の中がいわゆる平常通りになってきて、なんとなくここ最近、生徒たちは「やる」ではなく「やらされている」雰囲気で過ごしているという印象を受けています。これまでは、学校がある喜び、授業を受ける喜び、部活ができる喜びを感じていたようですが、最近の彼らからは「もう一回休校にならないかなぁ」「小テストが多くて大変…」「今日は部活がOFFでうれしい」などの声が聞こえてきています。

残念ながらこれが現実です。しかし、それも当然なんですよね。臨時休校期間から学校が再開され、この2学期は本当に休みが無いと思います。学校も1学期を取り戻すべく、行事などを中止にしたうえで、とにかく勉強、勉強、部活、部活です…。それでは、当然「やる」よりも「やらされる」感覚が強くなっても仕方がないように感じます。

なんというか、コロナがどうこうではなく、生徒にとって、教職員にとって、勉強も部活もやらされるのではなく、自らやりたくなるような状況に戻すくらいではダメだったんでしょうかね。

私自身、この猛烈なギアチェンジが、これ以降新たなひずみを生むと感じています。そういう時に、自分自身がそのひずみに飲まれないために、きちんと自立(律)して、どのような雰囲気になっても自ら立つ、自らを律することができないといけないと痛感しています。

「やる」と「やらされる」このマインドの違いだけで、全く同じことをしても、得られるものは大きく異なります。今一度、「やる」という感覚を大切にして、学校という場を再構築したいなぁと思う今日この頃です。